社会人一年目で抑うつ、適応障害〜退職〜転職したお話②

この記事では、休職中の私のお話を書こうと思います。

1番恐ろしかったのが、私が突然休職したことに対して、支店のおばさん達は「え?なんで?」「なに休んじゃってるの?」と思ってること。

このことは、別支店の仲良しの同期から聞いたのですが、私の同じ支店の同期の男の子がそう言っていた、と言っていたのでこの情報は間違いありません。

なんて恐ろしいんだと思いました。私が休職してることに対して心配するどころか、なぜ休職したのか理由がわからないだなんて。。。

あんなに苦しんでいたのに、その苦しみは周りのおばさんたちに伝わってなかったんだな〜と気付きました。そして、それほど新人の私の様子を見ずに、気にもせずにおばさんたちは働いていたんだな〜と。

新人の身の私が言うのもアレだけど、普通新人の様子って上司なら誰かしら気にしませんか??気にかけませんか??

新人の教育・メンタルケアもちゃんとできない極悪な会社にいたんだな、と思ってしまいましたね。

ここまでこの記事を読んでる方に、せめて年の近い優しい先輩に相談しなかった私が悪いのでは??と思う方もいると思います。でも、相談する気力も無いくらい、私の精神状況は悪化していました。

それに私だって一応、支店長に相談するというSOSを一度出しました。でも相談してしばらくたった後の支店長は、もう私は大丈夫になったのだろうと思い、気にもしなかったんでしょう。

7月末の突然の先輩の係異動(支店長命令)、そのせいで教育がままならないまま引き継いだ仕事。その他、支店長命令で増えた仕事もありました。

そうです、間接的にですが私は支店長のせいで追い詰められた部分もあります。



1番恐ろしいと思ったお話しから始めてしまいました。振り出しに戻り、休職の診断書を貰ってからの出来事をお話ししたいと思います。

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診断書を貰って、翌日の朝。
休職することを支店長に伝えなければなりません。
電話しようとすると、息が、胸が苦しくなり、とても電話する気になりませんでした。突然休職するだなんて、やっぱりよくないことですし迷惑をかけます。そしてこんなことになってしまった自分が情けない。そう思うと苦しくなりました。

恥ずかしながら、電話する勇気が出ず、母に休職をする旨を伝えてもらいました。

そうすると、支店長が私の家まで診断書を取りに行くと言っていると。支店長は私と会って話がしたいと言っていたそうですが、とても私の今の精神状況ではそんなことできません。

私の様子を見かねた母が「支店長には、マンションのロビーに来てもらうから、あなたは会わなくていいからね。」と私に言ってくれました。

そして、私のいないところで診断書の受け渡しや事情説明を母がしてくれました。本当に自分が情けなくなりました。そんなことまで母にやってもらってしまった。さらに悲しくなり、この日も涙が止まりませんでした。


母が言うに、支店長は「なぜ私が休職になってしまったのか全くわからない。」と言っていたそう。
そりゃそうだ。支店長は私の様子なんて全く見てなかったから。職場の階も違うし、私の問題はもう解決済みだと思っていたのだろう。



休職前、日々仕事の愚痴を言っても「そんなの慣れでしょ」「最初はそういうもんなのよ」としか言ってくれなかった母。
そんな母でしたが、さすがに心配したのでしょう。
その日母が買い物から帰ってくると、私に向かって
「あなたの大好きな鰻買ってきたよ!」
コーヒーゼリーも買ってきたよ!」

すごい励ましてくれるやん、、、不器用な母の優しさに、また涙が出てきてしまいました。

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休職してから2、3週間はずっと落ち込んでいました。
みんなは働いているのに、私は家にいる。罪悪感がすごかった。毎日泣いてました。こんなに休んでて、いいのか。私はこれから元気に働けるのだろうか。いろんな不安が私を襲いました。
こんな感じで、テレビを見ても集中できないくらい私は頭の中で考え事をしてしまっていました。だから基本は何もせずにソファでぐったり。それかずっと寝ていた。たまに抑うつの事をネットで調べて、自分に当てはまりすぎて悲しくなって泣いたりもしていた。この暇な時間がとても辛かった。暇なのに何もする気にならない辛さ。
あとは、仲良しの同期とLINEしてた。今思えば、それも良くなかったのかもしれないと思った。同期は苦しみながら働いているのに、私は何をしてるんだろう。やはりそう思ってしまっていた。

ただ、全く外に出かけなかった訳ではない。そう、先程から何度もでてくる仲良しの同期。その同期とは、週に一度くらい近所のスタバでお茶をした。

「今は、休む事が仕事なんだよ。」
「新卒で入った会社のせいでこうなって、自分の人生の上ですごい歴史になったよね」
「とっととこんな会社辞めてやろう」

でも、この仲良しの同期の存在は大きかったように思う。会社の愚痴を聞く・言う事が自分の励みになった。私が悪いんじゃない、こうさせた会社が悪い。そう思うようになってきた。


休職中、同期の7〜8人くらいでの飲み会に参加したこともあった。同期と会う元気はあったんだ。自分の状況を同期に明るく話せるくらいの元気はあったんだ。以前より、少し心は軽くなっていた。

私は、休職初期は絶対このまま辞めてやろうと思っていた。だけどこの頃は、少し元気になってきたし、一度復職しようと考えていた。

辞める辞めないは、一度戻って冷静になってから考えるのでもいいのではないか。そう思ってきた。

自分が抑うつと診断されてから、精神疾患の事についてよくネットで調べていた。調べると、

抑うつは冷静に物事を判断できる状態ではないから、退職や転職など、大きな決断はしない方がよい」

そんな記述があった。だから一度復職して考えようとしていた所だった。

病院には2週間に一度通っていた。そろそろ休職して1ヶ月経った頃。医師に言われたのは




「あと2ヶ月休みましょう。」




正直、また休めるという少しの嬉しさはあった。休職して1ヶ月経った頃は、そろそろ戻らなければいけない。またあの恐ろしい職場に戻らなければいけない。そう考えてナーバスな気持ちになってしまっていた。その私の様子が、医師に伝わったのだろう。私はまた体調が悪くなっていた。

また2ヶ月も休んだら、戻るのは12月になってしまう。12月は、金融機関だと1年で1番忙しい時期。そんな時に戻ったって迷惑をかけるだけだし、嫌な思いをするのは目に見えた。

さらに2ヶ月の休職の診断書を手にして、帰って私は母にこう告げていたのだ。


「もうこのまま辞めていいよね?」


意外となんの躊躇いもなく言えた。母は、そうだね、辞めようと言ってくれた。父も、辞めていいと言ってくれた。


そう、このタイミングで私はついに退職の決断をしたのだ。


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退職を決断してからの私は元気になっていた。
趣味が増えた。
まずハマったのが、編み物。ハマりたての頃は、ほぼ一日中編んでた。何も考えずにひたすら編んでいく単純作業が、心を楽にさせてくれた。

そして、ピアノ。私は幼稚園〜高校までピアノを習っていたのだが、それ以来一切ピアノに触れていなかった。久々にピアノを弾いてみようかな〜と軽い気持ちで始めたが、とっても楽しかった。

編み物も、ピアノもやる事でなにか達成感があった。編み物だったら、私こんな可愛いものが作れるんだ!ピアノだったら、私こんなにたくさんの曲を弾くことができるんだ!と。

小さな達成感が自分の自信を高めたのかもしれない。

あと、ヨガを始めた。友人の紹介だ。汗を掻くことが、体を動かすことがこんなに気持ちいいんだと気付いた。

これらの趣味をしながら、たまに友人と会ったり、散歩をしたり。日々は、非常にゆったりと流れていった。


思えば、休職して1ヶ月は、同期の仲良しくらいにしか会っていなかった。休職したての頃は、遠くに行ってまで友人に会う元気がなく、遊びの約束を断ってしまっていた。とても申し訳ないことをした。
でも、退職を決めてからは、遠くに出かけて多くの友人と会えるくらいに私は復活していた。


医師にも、退職することを伝えた。医師の立場的には、復職させるのが1番の完治と言えるのだろう。医師に、ごめんなさいね、と言われた。退職にさせてしまってごめんなさいということだったのだろうか。いや、寧ろ私は休職しないと退職する勇気もでなかっただろうから、医師には感謝している。

そうすると、医師は「それなら12月も休職の診断書を出しましょう。」と言ってくれた。「それで、12月末で退職すれば良い。」


そして再び手に入れた診断書。今度は新たな悩みができた。退職の旨をどうやって会社に伝えればよいのか。

実は、私が休職中、異動の時期で支店長が他の支店に異動してしまった。とても自分から店に電話する勇気はなかった。電話したら、支店のおばさんたちの誰かしらが出る。そう思うと、怖すぎた。

退職することを電話で伝えなきゃ、診断書のことも言わなきゃ、と思って悶々としていた頃。
ある日、新しい支店長から電話がかかってきたのだ。

その頃の私は、その新しい支店長と電話することができるくらいの精神状況だった。

家に支店長が診断書を受け取りに来てくれることになった。そして、マンションのロビーで診断書を渡すと同時に、退職することを伝えた。

「自分の健康が1番だと考えたので、退職させて頂きます。」

そう言うと、支店長は「そうだよね。健康が1番だからね。」と言ってくれた。ここからは、予想以上にスムーズに退職手続きが進んだ。


私は2018年12月31日付で退職することになった。もう私の心はすっかり元気になっていた。


12月、元気になりすぎて恐ろしいほど行動力が湧いてきた。相変わらず暇な状況が辛く、同時に人恋しくなっていた。

ついに、私はマッチングアプリに手を出した。この話は笑って聞いてほしい。(笑)
初対面の男の人、6人くらいに会った。初めましての人と、休職中なこと、退職することを話すことはもちろん、明るくたわいもない会話ができた。私、こんなに人と話せるようになっていたんだ。自分の復活ぶりに関心し、自信も湧いてきた。この出会いで、いろんな経験もした。すべて、私にとって良い経験になった。



こんな感じで日々はあっという間に過ぎ、無事に2018年を終えた。


次の記事では、退職してからの日々について書こうと思う。